
市川準監督。村上春樹氏の同名の小説の映画化。
映画は、終止西島秀俊の語り部と坂本龍一の音楽と共に流れ、たまにキャストの台詞もそこに重なるという不思議な雰囲気と、村上春樹らしい世界が作り込まれていました。
キャストのイッセー尾形、宮沢りえ、(一人二役)そして映画の映像ワンシーンワンシーンというより一枚一枚が淡い色を醸し出します。
イッセー尾形の家?(アトリエ?)の窓が、サッシも見えなくて、天井から床まで一気に切り取られているような感じで、不思議な空気を演出していました。
宮沢りえ自身もそうだし、彼女の買う服、買い物中に映される綺麗な靴をはいた足元、乗っている車、ひとつひとつが透明で、そしてはかない。
映像も淡い写真のよう。
死んでしまった宮沢りえのきれいな服がいっぱいつまった衣装部屋で、同じく違う役に扮した全く別人で他人の宮沢りえが泣くシーンで、なんだかすごく悲しくなって泣いた。
とてもいい映画だと思うけど、西島秀俊の語り部の声(素敵だとは思うけど)が村上春樹の小説でよくでてくるような、一見草食系かつ繊細、ナイーブな、女性に振り回される(のを喜ぶ)男性の雰囲気をうまくだしているような。それが聞いていてとってももどかしくいらいらしてしまいました。
そして映画の最後の方に、小説にはない、宮沢りえ役の元恋人がでてきて、”あいつ大変だったでしょう”と言い、イッセーが”大変なこととかはなかったし、もう忘れた。それにきみ、その、あいつとか言うのやめてくれないか”というようなやりとりのシーンがあるのだけど、
それは要らなかったかなあ。。。
映画の中に淡い光、音、服、絵の道具、孤独感と愛が漂う。これらは現実にもやっぱり、静かなもので、どこか悲しみをまとってるのかもしれません。
登場人物達の心情とか、映像の写真でよく使われるような淡い効果とか、構成も。表現の世界での流行がいい意味でも悪い意味でも詰まっていたと思う。今っぽい映画ということでしょうか。(2005年作品)





